悪い人なんていないよ。

「搾取しているラスボスがどこかにいるわけじゃない」。

 たぶん、そういうことなんだろうな。どこかに悪党がいて、そいつを叩けば事態が改善するなら簡単だけれど、世の常として、そういうわけには行かないんじゃないかと。

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20071004/p1

1 秘書(北海道) 投稿日:2007/10/02(火) 20:57:27 id:G6COnr+v0 ?PLT(12347) ポイント特典

意見撤回求め11万人集会=知事「軍は関与」−集団自決の教科書検定問題・沖縄

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070929-00000107-jij-soci

9/30 テロ朝日曜 17:30 ANNスーパーJチャンネル
で最初にこのニュースを流したときは★1万人と放送★

10/1 テロ朝月曜 16:53 スーパーJチャンネル
でこのニュースを流したときは11万人と放送 ★なぜか10万人増えてる(゙A゙ )★
毎日・読売・・・などもこれに追随し11万人と報道

テレビの画面に映った公園を見てみると、とても11万人いるようには見えない
で、調べたら
http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2600/2639/29430.html

海浜公園
専用使用無しの場合 3,000人
多目的広場半面専用使用ありの場合 2,000人
多目的広場全面専用使用ありの場合 1,000人 (ノ∀`)アチャー★1万人も入らんw★

http://app.blog.livedoor.jp/news4vip2/tb.cgi/51067835

まさか記者の人に数えて?とは言わないよね。「何千人くらいが参加した気がします」とも書けないよね。

相手の発表をそのまま載せた、それだけ。「何万人が参加した、と発表した。」って書けば、嘘ついているわけでもないし。
おおきく反論している相手でもいなければ、「だけど実際は数千人でした」なんて書けない。


記者の人は、「11万って、マジかよ、まぁしゃーねーな。」って思ってるくらい。別に世論操作など考えてはいないし。

そして見出しを付けるのは記事も書いた事のない、ただのデザイナー。11万は注目をひくからつけただけ。


これを変えられるのは、「違うんじゃねーの?」って疑問をぶつけつづける周りの存在だけ。

名前を名乗れない人。

ネットの世界で「名無し」と呼ばれる方は、相当の暇人らしく、日本中のブログや掲示板に出没しては、有益無益なコメントを書き込んでいらっしゃる。もし一人で全部やっているのだったら、それはなかなかの人だなぁと思うのだけれども。

例えば名無しと名乗られている(?)方に、痛い事を突かれた場合、相手は、「名前を名乗れない人」なんだと思うことで、少しだけ気が楽にはならないだろうか。少しだけ自分の中でのパワーバランスが均衡に近づく気がする。

今のアメリカでは

原爆発言とかそんなのより小林が早食いで負けたことの方が話題になってますよ。

それはいいとして、例の記者会見を引用
http://www.state.gov/r/pa/prs/ps/2007/87659.htm

QUESTION: In 1945, the United States dropped an atomic bomb on civilian centers over Nagasaki and Hiroshima, consequently killing over 200,000 people. In hindsight, I think we can all agree that that was a very irresponsible use of the technology at the time. So my question is what gives the United States the right to sit at the head of the table and dictate to other countries how the type of technology should be regulated today?

MR. JOSEPH: I guess that's probably for me. (Laughter.)

Well, I fundamentally disagree with the premise of the question. And in fact, I think that most historians would agree that the use of an atomic bomb brought to a close a war that would have cost millions of more lives, not just hundreds of thousands of allied lives but literally millions of Japanese lives. And the United States has taken the lead in nonproliferation working with others, most recently with Russia in a number of initiatives, to deal with the threats that we face from nuclear proliferation with regard to countries in the near term like Iran and North Korea, with threats of today such as the threats from nuclear terrorism, which perhaps are the preeminent threat that we face as a nation, and trying -- working with others to shape the future so that we don't have a cascade of proliferation.

The type of world that was envisioned by President Kennedy back in the 1960s in which we have 20 or 30 nuclear powers, that is something that we need to preclude, we need to avoid. At the same time, we need to move forward responsibly with others to ensure that we can meet our energy requirements, we can see industrializing countries develop, and we can do this in a responsible manner. And that's the chart -- that's the path that we have chartered and that's the path that I think our two presidents want to take, not just our two countries, but lead in the international community.

質問:1945年に、アメリカ合衆国は長崎と広島に原子爆弾を投下し、結果的に20万人の非戦闘員を殺しました。この投下は、非常に無責任な技術の使い方だったと全員が同意していると私は思います。それでもアメリカ合衆国がほかの国々を押さえて、制限するべき技術について話し合いを推し進めることについてどのような権利があるとお考えですか?

ジョセフ氏:(お互いが見合って)それはおそらく私への質問ですね。(笑 (キシリャク氏:私が答えてもいいですけどね。)
まず、その前提から同意しかねますね。実際、多くの歴史学者も同意すると思いますが、原子爆弾が戦争を終わらせたことで何百何千の連合国の犠牲だけでなく、何百万もの日本人の犠牲を防ぎました。そしてアメリカ合衆国は核非拡散への働きを率先し、各国と、つい最近ではロシアと協力して働きかけておりますが、協力して核拡散の問題を解決しようとしております。イランや北朝鮮、そして今アメリカが一番対面している核テロリズムの対策を通して、核が拡散しない世界の実現に各国と協力して注力しております。

かつてケネディ大統領が60年代に想像していた、20,30の国が核を持つといった世界が実現することは、避けなければならないことです。同時に、各国が前向きに責任をもって、必要なエネルギーを確保できるようにし、途上国が発展できるようにしなければなりません。それが、私たちが描いている方向であり、私が考えるに、双方の大統領、国だけでなく世界が望んでいる方向だと思います。

核拡散防止に関する、ロシアの外務大臣代理との合同記者会見ですね。
Special Brief: Nuclear Cooperation上のやりとりは32分10秒頃から。

最後に、同じ質問者が「アメリカ合衆国は50年…」と続けようとするがジョセフ氏が遮り、キシリャク氏が最後にアメリカとロシアが核非拡散の主導権を取ることについてコメントして記者会見は終了

この日本語訳を載せたブログが一つしかなかったので、まぁ複数のソースがあることはいいかなと適当に訳してみました。

昨今の慰安婦問題並に話題にする価値もないと思いますがね。

このブログは今日から

ネットイナゴとちまたでは呼ばれる方々と真剣に争って、何敗あげられるかを競うブログになりました。
3日つづいたらほめてください

著者について
住所:どっかの誰かが愛を叫んでいるところ
仕事:推して量れ。
年齢:ニートの平均年齢といえば
死刑:どちらかというと反対
ブッシュ:嫌い
著作権カスラック
思想:どちらかというと右翼
天皇:バンザイ
安部総理:うまくやってるんじゃない?
慰安婦:何をいまさら
恋人:遠距離中

取材先で受け取るものについて

IT系サイトの記事で気になるのが、アップルの発表会に行って新製品をもらってきたという記述だ。
本来ジャーナリストたるもの、公平に物事を伝えるためには利害の絡む相手から金品を受け取ってはいけないはずではないのか。ただでもらってきたものをすばらしいと評価したとして、読者は、記者が公正に評価していると受け取るだろうか。
こんな所からも、IT系「ニュースサイト」がただの広告の塊であるとの印象を拭えなくしている。

だからといって、記者は絶対渡されたもの配られたものを受け取るなという原則は、頑固に運用すると取材先とのコミュニケーションに齟齬が出ることがある。
あるおばあちゃんの家にお邪魔して、話をしながら「お茶でも飲んで行きなさい」と言われることもあるだろう。そこで頑に断っても何の意味もない。

極端すぎる例を並べて恐縮だが、結局は、受け取る事でなにが変わるか、自分の取材先への感情、受け取った事に対する読者視聴者の記者の公平性への印象、そのような事を考えながら臨機応変に対応するしかないのだろう。

ご無沙汰しております。

ブログ以外にもいくつかアウトプットの手段が筆者には存在するので、いわゆる本業が忙しくなるとこっちはおろそかになってしまう。
このブログを書く頻度=24時間 - 忙しさ - 他のメディアで過ごす時間
となっている。もし頻繁に見に来ている方がいらしたら申し訳ない。


最近話題になった、国旗掲揚に関する違憲問題。
個人の自由を保証する国に住んでいるのだから、その憲法に沿って判断しただけの裁判所に対して文句を言うのはどうかしていると筆者は思う。
何年前になるのだろうか、筆者も、学生時代に何度か式典で国歌を歌わない事があった。
国旗・国歌問題に辟易していた筆者は、ただ、この国歌を歌うに足る理由が見つからない、そんな理由で起立はしても黙っていたり、起立すらしない事もあった。ちょうど、今まで当たり前だと思ってやってきた事に対する疑問と、反抗期が重なったのだろう。

結果的に、それは筆者自身の日本や天皇制に対する思いを巡らすよい機会となり、今では歌っている。

法律で決まっているから、強制的に歌わされるから、君が代を歌うのがそんな理由であったら、筆者が愛国心なんてモノを考える事も無かっただろうし、下手をすると国旗国歌、ひいては日本に対する反感、反抗心だけで終わっていたかもしれない。

ジョンベネちゃんの父親からのメディアに対するコメント

CNN.com - Statement from JonBenet Ramsey's father - Aug 17, 2006

"I want to have only very limited comment on today's arrest because I feel it is extremely important to not only let the justice system operate to its conclusion in an orderly manner, but also to avoid feeding the type of media speculation that my wife and I were subjected to for so many years.

今日の逮捕の報に接し、コメントは本当に限られたものにしたい。なぜなら、司法当局がこの事件の解決を整然と行えるようにするだけでなく、長い間私たち夫婦がさらされてきた、メディアによる疑惑報道の火に油を注がないようにすることが非常に大切だと私は感じるからだ。(筆者訳)

数々のミステリー系番組でこの事件を報じ、アメリカのメディアと同様に両親に疑いの目を向けてきた日本のマスコミは、このコメントをどう報じるだろうか。